人間の感覚に捉えられる六つの対象を色・声・香・味・触・法の「六境」という。捉えれれた結果が、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の「六識」である。
「六不収」とは、中国の雲門和尚に、ある僧が「法身とはどんなものか」と訊ねたときの答えで「六識には収まりきれないもんじゃ」という意味になる。眼にも見えず、耳にも聞こえず、匂いもせず、味わうこともできず、触れられず、しかも意識さえできないということだろう。つまり感覚器や意識では「法身」は捉えられない。我々は感覚器を通してさまざまな情報を入力し、瞬時に価値判断をしたり好き嫌いを感じる生き物であるが、そうした抜きがたい妄想を拭い去ったところ、いやそれらが生ずるまえのところに目指す「六不収」はあると云える。 |

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